北山トライアングル 誕生まで 補足

私が感じた「いずれ帰ることになる懐かしい場所」の空気感は、きっと全ての人の根底にあるものだろうという直感がありました。

…こういうお話って「あるかどうかもわからないあの世を夢で行き来して、しかもそれが万人にあるだなんて妄想も甚だしい」と言われかねないんですけども(笑)

…ただですね。
人間を観察したときに、みんなが目の前の現実を直視しているとは私には思えないんです。
解釈を挟んだり想像したり、現実はねじ曲がって各々の意識に蓄積されていく、と。
だとすれば、程度の差こそあれみんな盲目だ、と。

今日なにがあったかを話すときでさえ、物自体をちゃんととらえられない以上、みんな妄言を吐いているようなものです。

であれば、わたしも夢物語でもいいから体感したことを話してしまおうと思った次第です。

それに、そうやって各々が感じる世界こそが人間の面白みに直結していると思いますし、私自身もそういう人の話を聴くのが楽しいです。
もちろん現実を直視しっぱなしだった釈迦の話もとても面白いです。どちらも面白いです。
つまり、「迷惑が掛からない範囲であれば、なんでもあり」だということです。

なんなら宇宙というものは過去現在未来を内包しておりまして、過去の悲惨な出来事も宇宙の一部なわけです。
そこを宇宙は否定していない。否定しているのは人間だけです。

そこまで範囲を広めると、本当に「なんでもあり」になってしまいます。
だからといって「北山は人殺しを是認している!」ということではありません。
あくまで、少なくとも「内的な感覚を外に出したっていいんじゃない?」ということです。

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で、天国の振動・波動といいましたそれは精神世界としての解釈でして、物理的な解釈をとるとすればそれは宇宙の振動に言い換えられます。
万物が素粒子の集まりであるが故に、万物は時空を超えて兄弟である ということでして、その母体の宇宙が全ての起源になりましょう。
その宇宙のはじまりにあった蠢きや振動というようなことが、私の感じた世界の鍵になっていると思ったわけです。

未だに、この宇宙はビッグバン(仮説ですが)の影響下にあります。
その際に起こった振動はまだ消えず、また消えたように思っていても記憶としては残っているということです。
ある方の言説では「未だに僕らの中でビッグバンは起き続けている」ということですが、それはこの思考の先にある体感だといえましょう。

ビッグバンのある/なしに関わらず、
そういうわけで宇宙の元に全てがみな兄弟です。その共通の根源を揺らせたら、、、
そういうトライアングルを鳴らすと猫ちゃんがうっとりしたり食べ物の味が変わったり、傷ついた人の心が救われたり生きることの根源的な想いに触れたり、そんな奇跡が起きたらさぞ面白かろうなんてことも思ったりします。

芸術と呼ばれる諸作品に崇高なものが備わっているとしたら、それはそういう領域のものだと思っています。
とはいえ芸術に関わらなくてもそれは表現可能ですし、なんなら人生の諸表現が芸術たりえるでしょう。人にお披露目する必要なんかないんです。

なんだかんだと考えると、なんでもあり、に行き着いてしまいます。

なんでもありだからこそ、いまのあなたはすべて赦されている。

そんなふうなことを思いながら作っています。

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