北山トライアングル 誕生までの道のり その1

こんにちは、北山トライアングルの北山靖議(やすのり)と申します。

ここでは、
「なぜトライアングルを作り始めたのか?」
そのことについて少々長くなりますが、北山トライアングルの経緯と併せて綴ってみます。

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幼少のころから音色に敏感に反応する子供でした。
小学校入学時、数校から選択できたのですが、私が選んだのは下谷小学校。
理由は「階段を登るときの木の音が良かったから」

時は経ち、私はドラマーとして活動していました。ますますひとつひとつが個性的なドラムという楽器の世界に魅入られるように没頭していきました。

探求心と必要から始めた打楽器のリペアも、人から頼まれて請け負うようになっていました。
そしていつかシンバルやドラムを作り上げたい、、、!と思いながら過ごしてきました。

そんなある日、友人からオーケストラへのエキストラに誘われたのを機に改めてクラシック打楽器に触れ、
その途中で1つのトライアングルに出会います。

それは1つ10万円するとか、ドイツの管楽器職人が作っているとか、その音は凄いとか、
なにかと噂のトライアングルでした。

そのトライアングルに実際に触れてみた時、
「これ作れる。作ってみよう。」
と直感したのです。

今となっては何でそんなことを思ったのか分かりませんが、
ただ、可能だということだけは確信していました。

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一か月後、気付いたら試作品のトライアングルが完成していました。

しかしその試作品は形だけで、音に納得は行きませんでした。
それからはトライ&エラーの日々。

その道のりは険いものでした。
大学時代の材料力学や機械工学などの専門書を紐解いてみたりしても全く役には立ちませんでした。
よくよく考えればそれらは構造物の強さを求める世界でしたし、
音については参考にならなくて当たり前ですよね。

他にも探してみたのですが、音響と材料加工に関する目的の文献はみつけられませんでした。

これは難しい道に足を踏み込んだな、、、と思いながら過ごす日々。
助けを求めるように、日本を代表する金属造形作家の先生にも相談してみました。
その答えも期待したものではありませんでした。

「音響のことは詳しくありません-今後も試行錯誤してチャレンジしてください。」

その先生は何十年も金属と向き合い続け自在に操る技術を極められ、
金属とは思えぬほどにしっとりと、たおやかな作品を発表されてきた方です。

世俗的な話でいえば、内閣総理大臣賞を受賞し、日展評議員を務め、
某人気同業作家(文化庁長官になったイルカの人)が挨拶に行くような大先生です。

そんな方からすらヒントを得られないとわかった時。
頼る道が悉く絶たれたように感じ、へこたれてもおかしくない状況。

そのときわたしは、、、

(その2へ続く)

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