北山トライアングル 誕生まで その3

(その1をまだお読みになってない方はこちらを先にお読みください)

結果に喜びつつも、行くところまで行き着いてしまったある種の寂しさを感じていたある日のこと、私はその後の動機を決定づける不思議な夢を見ました。

空高く聳える巨大な樹木の上に村があり、数十メートル先には雲海を見渡すことができる場所でした。
ここはどこだろう?とキョロキョロ見回していると他にも数人います。
彼らはみな一様に大人しく神妙な様子で、何かに引き寄せられるように雲海の方へ向かっていました。

向かう方をふと見ると、なんとも異様な雰囲気を感じます。
どうも目に見えない境界面があるというか、空気感の異なる領域がその先に広がっているというか。
おそらく向こう側はこの世ではない、あの世や天国なんだと直感しました。

薄く蜃気楼がかかったようなその領域を眺めていると、なんとも形容し難い空気が伝わってきます。
大自然を目の前にした時のような混沌といいますか、清々しさや柔らかさに対して威厳に満ちた冷たさや畏怖という、互いに矛盾した感覚を同時に覚えます。
無理矢理音楽で喩えるならブルックナーとジョンケージを混ぜたような。
もしくは神社のような強烈な神域に足を踏み入れた時のあの感覚というか。

そんな空気感が肌に響いてくる波動のようなものとして感じられ、法悦に浸るようにその場に立ち尽くしていました。

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夢から醒めてからも、その微細な波動が体中に響いていました。

この内的な体験が、今の北山トライアングルの動機になります。

「この波動をトライアングルで表現できないだろうか?」

追求の旅に、再び出ることになったのです。
それからの制作はまた大変なものでした。

前回の時は、比較対象が脳内で大きくなっていったとはいえ、まだ現実の延長線上でありました。
それに対して今回は完全にイメージ上のものを具現化しようというんです。

どうやって現実に作り出すか。
空想のものである以上、そもそも実現不可能かもしれません。

とはいえ、前回の時だって巨大化した脳内イメージの追求だったのですから、
今回だってうまくいくだろうという確信(盲信?)の元、突き進むことになりました。

制作に関わるあらゆる要素をそれぞれ何段階も細分化して法則を観察しながら試作に試作を重ね、
合金も製法も大きく変わっていきました。
失敗しては繰り返し、
成功しては前に進み、、、

そんなある日、
いつか夢で感じた、天界のから伝わってくる響きを具現化することが出来たのです!

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こういう経緯があるので、もはや楽器ではないかもしれないという自覚があります。
そもそも楽器として作っていないですし、自分の中では神聖な法具だという思いでしかありません。

しかしながら、これこそが最上の楽器であるとも思います。

もともと合奏が始まる以前の楽器がそうであったように、
原初の集会や儀式では鳴らすだけで異空間に入りトランスするような物を用いていたと思うのです。
現代の祭礼でも、そのような音を効果的に使い人間に秘められた力を引き出しています。

おそらく人類が共通して感じ得る”神聖さ”。
それを表現しえる力を持った物だからこそ、音色にも力が宿り、鳴らすだけで心に感じ入る。

そのような楽器で演奏をしたら、果たしてどのような影響を聞き手に与えるでしょうか?

翻って、現代では楽器が記号のように感じます。
楽器であるからにはこういう要件が必要である、これは不要である、とかいってるうちに必要最低限の味しかしないものが出来上がってしまう。
そこに、”肉っぽいものをパンっぽいもので挟んでケチャップっぽいものを挟めばハンバーガーになるだろう?”っていうような乱雑ささえ感じるんです。

そうなってしまった理由にグローバリズムや効率主義、脳化社会が挙げられると思いますが、
このトライアングルを通してそういう流れを今1度考え直すきっかけになって欲しいのです。

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人間の感覚の奥に秘められた豊穣な世界を私は生きていきたく思いますし、また同じように真理に向かう仲間が増えることを願って、トライアングルを作っています。
また、その思想が音を通して国外にまで伝わっていることは本当に嬉しいことです。

非常に非効率的な営みのもとに制作していますが、そのような思いが伝わればと思っています。

言い訳と補足

トライアングルの詳しい情報はこちら (ご視聴の際はYOUTUBEチャンネル登録をしてくださると非常に助かります、よろしく願いします)

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